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大人の隠れ家

さて前回の記事で少しふれたのだが、私たち夫婦は家を建てることになった。

旦那は転職して住宅メーカーの設計担当になった。能力も認められ、お給料も上がり、それが自信に繋がっているからなのか男前が上がって頼りがいのある旦那になった。仕事ひとつでこうも変わるのかと驚くのと同時に、楽しそうに仕事している姿を見るのは嬉しくもある。

「家建てようか。」
そんな中、旦那がそう言ってきた。
確かに私たち夫婦2人で生きて行く以上、アパート暮らしという訳にもいかない。住宅ローンのことを考えても今の年齢が限界だろう。旦那にはもうひとつ考えがあるようで、「自分に何かあった時、今は何も残してやれないが、家は財産になる。」

旦那はこれからのことを考え、覚悟を決めたのだ。その後も話し合いを重ね、家を建てることになった。

住宅ローンの審査も通り、土地を選ぶことになった。土地を選ぶ上で重要視したのは…
1 道路の除雪対応が早い自治体
(雪が降る土地ではとても重要!自治体によってかなり差が出る)
2 将来性のある自治体
(財政が豊かであるか否か。移住者が増えているなど)

この2点から考えて八ヶ岳のふもとにある自治体に決めた。ここは観光地でもあり、子育て支援をしっかり行っているので若い移住者はもちろん、仕事をリタイアしてからの移住者も多い。土地によっては家を建てると助成金が出る。何より環境も素晴らしい。

土地も決まり、旦那が設計図を描くことになった。実は私には夢があった。それが図書館に住みたい!というものであった。であるから、一階はダンジョンの様に暗くしてずらっと本棚がならんでいる様にして欲しい。奥には和室があってそこで寝転んで本を読むのも良し、廊下の途中に無造作に置いたイスに座って読むも良し!まるで夢の様である。

それを旦那に伝えた。かなり奇抜な考えであるし、スタンダードではない。普通は玄関から入ってリビングにキッチンというスタイルがスタンダードだろう。それがスタンダードなのは、住みやすいからだ。奇抜な家は住みづらさも覚悟しなければならないが…

「面白い!それ面白いよ!スタンダードなものを設計するより、ずっとやりがいがある。設計者冥利につきるよ。こうなったら2人の好きなものを詰め込めるだけ詰め込もう!」と目を輝かせて言った。

こうして一階は図書館決定!となり和室には縁側を設けることも決まった。周りが緑に囲まれているので縁側で読書もできる。
なかなか良いではないか。

二階についてはまた次回!

幼き頃に

今月の12日で32歳になった。この歳になるとこの手の話題はさらっと流そうと思う。

私はブランドものバックに興味があまりない。年相応にいいものを身に付けることも大事なのだとはわかっているが…今旦那が持っている財布は諏訪にいる皮職人さんが作ったもので使うごとに味が出てきている。いつかその職人さんにオーダーメイドでバックを作ってもらいたいと思っている。

最近は呉服屋さんをのぞくのも楽しい。様々な反物を見ながら、40くらいになったら…着物を作ってもらいたい。

しかしブランドもののバックを持たない私に、旦那の母が誕生日を前にして商品券…しかもいいお値段…をくれた。
「それでいいバックを買え。それぐらいしかしてやれないから。」
「そんな頂くわけにはいきません。お母さんが使って下さい。」
「◯◯(旦那のこと)はケチだから、買ってくれないだろうから好きに使えよ。」

ちなみに旦那の誕生日は5月だが、それに関しては「まあ適当に祝ってやってくれや。」…ちなみに今年の旦那の誕生日、遅くまで仕事で帰ってきたのが23時。1時間だけのシンデレラボーイであった。

旦那の名誉のために言っておくが、何かにつけて私優先で買い物をしてくれる。働いてない手前気を使うのだが、化粧品にしても服にしても「女性には必要やろ?」とかなり理解がある。今年の誕生日も「今はこういうもんしか買ってやれんけど」と夏用の着物を買ってくれた。私が今何を欲しがっているか一番理解してくれるのも本当に嬉しい。

では旦那の母が誤解したわけとは…旦那は時計や靴、バックにはかなりこだわる。が、洋服に関してはバーゲンや値下げ品しか買わない。「良いものを安く」これが彼の洋服購入のテーマだ。しかし着こなしが上手いせいか、安物に見えない。一方私は着こなしにセンスがない。服装を褒められるのは旦那である。悔しい。小豆色のジャージで銀座を歩かせたいぐらい悔しい。

さてここでご報告。家を建てることになった。私たち夫婦の家のテーマは幼き頃に描いた秘密基地。また詳しいことは次回。

鰻はのぼる

ある漫画家さんが作品中に書いていた、
フィクションかノンフィクションだかわからない話だが。
黒○徹子がお昼のあの部屋で。
ゲスト「いやあ、私はあの時人気がうなぎのぼりでしてね。」
てつ子「え?うなぎのぼり?」
ゲスト「え?“うなぎのぼり”ですよ。」
おとずれる気まずい沈黙
てつ子「“うなぎのぼり”ってなんですの?」
ゲスト「たっ例え話でうなぎのように上へのぼるという…」
♫パーパヤ パパヤ パーパパヤパ(部屋の終りソング)

つまりこれが事実ならてつ子さんは人生で一度も“うなぎのぼり”にふれずに生きてきたわけである。
どうして自分はそこを避けて生きてこれたのか(大袈裟)。そんな不思議体験を我が家では“てつ子のうなぎのぼり”とよんでいる。ちなみに旦那のうなぎのぼりは、以前にも取り上げたが、遠足の時のおやつは300円までである。

私のうなぎのぼりは…とフレンチトーストである。我が家の朝食は味噌汁に焼き魚という純和風でパンを食べるという習慣がなかった。また外食も父親がファミリーレストランやジャンクフード嫌いだったため、寿司屋、鰻屋、焼き鳥屋だった。

そんな時、たまたま家に遊びに来ていた知り合いのおばさんがオヤツを作ってくれた。食パンが黄金色に輝いて甘い匂いがする。これは何と言う食べ物なんだろう?ドキドキしながら一口食べると口に優しい甘みが広がる。子どもたちがあまりにも感動したため、父親がいない時やオヤツに母親が作ってくれるようになった。

姉達や母親がその食べ物をトミフーパンと呼んでいたので私はずっとその食べ物をトミフーパンだと思っていた。しかし大学生になった私は衝撃の事実を知る。

私「今日はトミフーパン作ろうと。」
姉「…あんたさ、あの食べ物の名前トミフーパンって本気で思ってるわけやないよね?」
私「はっ?」
姉「え!あんたまさかずっとあれをトミフーパンやと思ってたん?」
姉によると、あれを作ってくれたおばさんの名字の頭文字が富とつく。そのおばさんが我が家に黒船のごとく持ち込んだ食べ物だから、富風パン。それがいつしかトミフーパンになったのだという。
姉「正しくはフレンチトーストよ。まさか…友達の前とかで言ったりしてないよね?」
そう奇跡的なことに一度もそんな話題が出たこともないし、トミフーパンと口走ったことはない。トミフーパンを作ろうとした私はフライ返しを持ったまま凍りついた。なぜか頭の中にはプロバンス風という言葉が頭をグルグルしていた。風ってなんなんだよ。プロバンスなのかプロバンスっぽいものなのかはっきりしてくれ。と的外れなことを延々と考えていた。私のうなぎのぼり体験は強烈すぎた。

しかし今でも旦那には「トミフーパン食べたいねぇ。」と言ってしまうあたりうなぎの呪いはとけていないようである。

全く関係のない話だが、今月末諸事情により、旦那の出張にお供することになり、仙台に行くことになった。
仙台といえば、伊達政宗、片倉景綱、新撰組とも少しだがゆかりのある土地だ。それに何と言っても牛タン…ワクワクである。しかし仙台の今の気候も気になる。湿気が高いようだが…まさかもう半袖?まあ考えても仕方ない。とりあえず牛タンに早く抱きしめて欲しい。揺れ動く乙女心なのであった。

男の作法

パグと散歩をして驚いたことがある。私が住んでいる周辺の女子高生たちがルーズソックスを履いていたのである。思わず二度見をしてしまった。

ルーズソックスといえば私が中学生の頃大流行。私も制服のスカートを短くして履いたものだ。「まだ売ってるんだアレ」

それを旦那に話したら、開口一番「アレって洗うの大変なんだよな。」…別に旦那に女装の趣味があるわけではない。旦那の家は共働きで妹が三人いたにも関わらず家事全般旦那がやっていたようなのだ。
旦那はデキる男なのだ。家事が。特に裁縫の腕前は群を抜いている。

ちなみに私は裁縫ができない女だ。小学校の頃、押入れを整理していたら封をあけていないウォーリーのリュック作りキッドが発見された。家庭科の課題で絶対提出しなければならなかったはずのものが、未開封で押入れから発見された。リアルウォーリーを探せ!である。これは我が家の七不思議として語り継がれている。

旦那のお気に入りのトレンチコートがある。初任給で買ったもので今だに大事に着ている。ボタンが外れたら自分で付けたりしていた。そんなコートがちょっとした事故で破れてしまい、素人じゃ直せない状態になってしまった。そこで個人で服のリフォームから服作りまでやっている方のもとに私が持っていった。

さすがプロ!仕上がりは完璧なものでどこが破れていたかわからない程であった。お礼を言って店を後にしようとした時だった。「所々ボタンを付け直したところがあるけど…あなた見事な腕前ね!素人がやったとは思えないわ。」
…いやそれは旦那が…ともはや言えない雰囲気。「私お裁縫普段全然やらないんですよ。ボタン付けくらいしか…」
「プロの私が言うんだから間違いないわ。あなた鍛えたらそれで食べていけるわよ!何なら時々遊びにいらっしゃい。」
…もうここには来れない。そう確信しつ店を出た。

その夜、旦那にその話をして「裁縫王子として一儲けしない?」するとニッコリ笑ってボロいタオルを渡され、「雑巾綺麗に縫えたら考えてやる」と言われてしまった。

昔お裁縫があまりにも出来ない私に母が、「あんた結婚したらどうするとね?」と言われ「お裁縫出来る人と結婚するけんいいと。」と言ったがまさかそれが現実になるとはお釈迦様でも知らぬ事実なのであった。

袖触れ合うも…

福岡にいた頃の2人は本当に貧乏だった。大学を卒業した私は学生の頃働いていたホテルでそのまま就職、旦那はデザイン事務所に就職したが、どちらもサービス残業当たり前の上に薄給。夫婦の喧嘩でワースト1はお金だとよく言われるが、喧嘩も多かった。この時はまだ入籍してなかったが、よく別れなかったと思う。

旦那のお母さんが送ってくれた野菜には随分助けられた。それに近所の顔なじみの八百屋のおじさんはよく勉強してくれた。

入籍はしたものの、結婚式など夢のまた夢だと思っていた。しかし…

近所の顔なじみのカフェの店長さんが、格安で式場として提供してくれた。

パグの散歩中に挨拶をする花屋さんの店長さんが破格の値段でブーケを作ってくれた。

パグがきっかけで懇意にして下さっていた床屋さんのご夫婦がブライダルエステを格安で提供して下さった。ここのご夫婦は何かと私たちを見守って下さって、私が体調が優れない時なども色々助けてもらった。
新婚旅行の時も、パグを預かってくれたり…申し訳なさそうにする私に「本当の家族だって思ってるのよ。」という奥さんの笑顔に何度助けられただろう。今でも手紙や年賀状のやりとりなど交流は続いている。

たくさんの人に助けられ私は白いウェディングドレスに袖を通すことができた。
カフェの店長さんがサプライズでウェディングケーキを出してくれた時は本当に泣きそうになった。

福岡にいた頃は貧しく、辛いことも多かったが、たくさんの暖かい人たちに恵まれた私たちは本当に幸せものだったと思う。
明日は結婚式記念日だが、それと同時に決して忘れてはいけない。今の幸せを作ってくれたあの人たちへの“ありがとう”を。

プロフィール

まんだりんず

Author:まんだりんず
<塾長みかん>愛媛出身福岡育ち
根性の無さといびきのでかさは誰にも負けない無芸大食パグ
<塾生A:みかんパパ>長野生まれのインテリ
<塾生B:みかんママ>福岡生まれで九州男児よりも喧嘩早い

福岡から長野へお引っ越し。ただいま奮闘中!

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